吉野ヶ里遺跡 九州旅行 Part.2

更新日:1月24日

③弥生人の生活に触れる

④主祭殿と最高司祭

吉野ヶ里遺跡公園ギャラリー2


③弥生人の生活に触れる

村人たちの家は一階建てで、前から見ると台形の茅葺き住居です。住居ごとに住人が設定されていて、身分や役割に合わせた内装がしてあるので、とても勉強になります。手当たり次第に一軒ずつお邪魔します。

家の外見は、ここに来る前から持っていたイメージに近かったのですが、内装は予想よりも遥かに近代的。

弥生人の生活
弥生人の生活

内部の地面がかなり深く掘り下げられていて、天井が高いです。囲炉裏のような火を焚くところがあり、武具や織物の道具が置いてあります。蚕で絹を作る技術は、もっと近代に日本に伝わったと私は思っていたのですが、紡ぐ道具や織機があります。調べたところなんと、絹を作る技術は紀元前200年くらいに日本に伝わっていたようです。


頭の横で髪を束ねる男性の髪型がとても特徴的で、弥生時代のシンボルの一つとも言えるのではないでしょうか。トンボ玉と天然石のジュエリーを身に着けています。トンボ玉を作っている私としては、とても嬉しいです。ガラスビーズは紀元前から、裕福な人々の宝物でした。

弥生時代トンボ玉
弥生時代トンボ玉ネックレス

写真に写っている夫婦ですが、一つ気になることがありました。どう見ても男性が上座に座っています。女王卑弥呼がいた伝説があるくらいですから、女性の地位は男性と同等、または、男性よりも高かったのでは?と漠然に思っていました。ネットで調べても、弥生時代が非常に長いこともあり、一概にどうだったかはわかりません。ただ、戦いが多い時代は男性の地位が高くなる傾向は、いつの時代にもあったようです。


④主祭殿と最高司祭

一通り一般人の住宅を見学した後は、最高司祭様がおられる主祭殿に向かいます。

北内郭(きたないかく)というエリアは、強固な壁で守られていて、入口は鍵型の通路になっています。一般人の住宅の前にもあったのですが、神社の鳥居のようなものがあります。これは、この時代の人々が信仰していたものが、後々の神道につながっているということを示しているのでしょうか?

吉野ケ里北内郭
北内郭(きたないかく)入口

この鳥居のようなゲートの起源は見つけることができませんでした。木製の鳥が2羽、上部に取り付けられています。正直、かわいらしくて全体の雰囲気と合っていない感じがします。連れの歴史マニアも「この鳥は、この歴史公園を作った人たちが勝手にくっ付けた気がする。」と言っていました。建物の屋根の最上部の飾りが、建物のグレードに合わせて凝ったものになっているのは、合点がいくのですが。

吉野ケ里主祭殿
最高司祭のための主祭殿

最高司祭さま、神秘的な響きですね。発掘調査の結果によると、主祭殿は高さ16.5mもあったそうです。これは現代の建物に換算すると、5階建てに相当します。


一階部分には太い柱しかありませんので、二階に上がります。大広間に沢山の人が整列して座り、祀り(まつり)が行われています。吉野ヶ里の王・権力者・周辺村長などが集まり、祈りや感謝の儀式をしつつ、最上階の最高司祭のお告げを待っています。

吉野ヶ里主祭殿
主祭殿2階

最上階3階に行くと、儀式の真っ最中。司祭が先祖の霊からお告げを受け取ったら、従者二人が下の階の要人に内容を伝えます。この部屋には重要な神器しかおいてありません。鏡・剣・珠などで、トンボ玉のネックレスが置いてあります。


吉野ヶ里最高司祭
先祖の霊と交信する最高司祭

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吉野ヶ里遺跡公園ギャラリー2

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